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2021.1.12リレーエッセイ ♠ 大学における授業と研究【第3回】つながりを見出すこと▶ハーン小路恭子

リレーエッセイ ♠ 大学における授業と研究【第3回】つながりを見出すこと▶ハーン小路恭子

✏ 文=ハーン小路恭子

 

 教育と研究をうまくつなげることができたなら研究者にとってそれほどよいことはないのだが、それはそんなに簡単なことではない。研究に関連した内容を教える授業を担当するとは限らないし、そもそもわたしたちの分野の場合、研究者は語学教員を兼ねている場合が多いため、所属や職務によっては語学の授業しか教えないこともある。そんななかで、なんとか個人的関心と教育上の職務を結びつけようと苦慮している教員がほとんどではないかと思う。

 ある大学に務めていた最後の年、一度だけ教育と研究が予想を超えるつながりを見せたように思えたことがあった。ゼミでラルフ・エリスンの『見えない人間』(先ごろ新書で刊行されたばかりだ)を読んだ年だ。ゼミといっても学生たちは基本寡黙であり、最低限のコメントを毎回全員に求める以外は、学生の発表を受けてひとりで喋り倒しているような体(てい)だったが、少なくともそこにいた何人かには多少なりとも響くものがあったかもしれない、と思える授業にはなった。深南部の黒人大学からハーレムへと北上し、左派の運動に関与した末に地下生活者となる語り手の半生を描いた『見えない人間』は、ザ・アメリカ文学ともいえる圧倒的な孤独感と歴史からの断絶感、メタフィクションの色合いを湛えている。だが一方で、奴隷制から解放後の黒人人口の北部への大移動、ブルースからジャズに至る独特のリズムに裏打ちされた表現の伝統、ブッカー・T・ワシントンからマーカス・ガーヴェイに至る思想の流れといった、アフリカ系アメリカ人の具体的な歴史と文化を理解せずに読んだら何が何だかわからない作品でもある。授業では、歴史をきっちり説明したうえで作品の魅力を伝え、たとえばなぜ、しばしばアンソロジャイズされる第一章、通称「バトルロイヤル」がアホほど笑えてかつ痛切なのか、といったことを伝えるのに心を砕いていた。

 同じ年にはちょうどアメリカ文学史の授業も教えていて、学生たちには口を酸っぱくして「文学の勉強の半分は歴史の勉強です」と言ったものだった。こちらもやはりひとりで喋り倒していたが、ゼミとは違って受講者は7、80人ほどの大教室の授業だったから、ふと教室の最後方を見れば寝落ちと私語とスマホの無法地帯になっていることもしばしばだった。寝ているやつは置いておいて、私語にスマホ、これはいかんとばかりに後方までずしずし歩いていっては、問題の学生の横にじっと立ち、「用事、済んだァ?」と満面の笑みを湛えて聞くのは大抵効果的だった。教壇まで戻る道すがら、どれだけ丁寧に歴史を教えたつもりでも「アメリカは20世紀も奴隷制があって大変です」とかいうレスポンスペーパーが後を絶たないのは、この無法地帯あたりが原因かもしれない、と考えるのが授業の日常だった。2020年までは。

 この年の大学生はみんな、電力を盗んで夜に生きる『見えない人間』の地下生活者になってしまったかのようだった。人の顔を見ないままオンラインで十数週もの間授業を受講し続ける、奇妙な接続状態。だが逆にいえばこんな年が来てしまったからこそ、文学とその歴史は教え続けられるべきなのかもしれない。それは過去の事実の羅列のなかに新しいつながりと系譜を見出していくためのものだからだ。何十年も前に書かれた書物と自分に何の関係がある?というのは、「いま・ここ」を生きる学生たちが抱く素朴な実感であるだろう。それに対して、いやところがどっこい、何十年前も前に書かれた書物がまさにいま・そこにいるあなたのために書かれたとしたらどうしますか?と問い返していくのが文学・文化研究であり、教育の現場はその実践であるだろう。『見えない人間』でいうなら、作品後半で左派組織のメンバー、クリフトンが路傍でサンボ人形を売る身に成り下がった末に白人の警官に射殺される場面は、いま・ここにいるわたしたちに向けて書かれたとしか思えないリアリティを持っている。そう、2020年は『見えない人間』を待っていたのだ。そんなつながりを見せていくのが、研究者の仕事のひとつだ。

 もちろん、つながりが逆方向に振り切れた先には、病や陰謀論がある。アメリカの人気TVドラマシリーズ『ホームランド』では、クレア・デインズ演じる双極性障害のCIAエージェント、キャリー・マシスンが、出来事や人物同士に壮大な関連性を見出す特殊な想像力で、諜報に国防に超人的な活躍を見せる。だがその力は、彼女の日常生活をめちゃめちゃに破壊しもする。あるいはつい先日、半裸に角と毛皮の被り物で米議会議事堂を襲撃したQアノンの男。彼もまた、それはそれはさまざまなつながりを世界/セカイに見出していることだろう。つながりはいつも、諸刃の剣だ。

 わたしたちの新しい日常が地下生活化し、断片的に接続され共有される経験しか持てなくなっていくなか、もう一度つながりについて思いをめぐらし伝えていくことは、文学や文化の研究者にとって、今後数年間の重要なタスクになるだろう。『見えない人間』の語り手は、こう問いかけて作品を閉じている。「低い周波数で、ぼくがきみのために語っているのだと、誰が知ろう?」夜も更けたころ、昼間には聞こえない周波数に注意深く耳を澄まし、いまどうしても聞かなければならない音を、声を探してラジオのつまみを合わせていくこと。文学テクストを読み、いま・ここに至る新しいつながりをそこに見出していくことは、それにも似た作業なのだ。

 

❐ PROFILE

専修大学国際コミュニケーション学部准教授。専門分野は20世紀以降のアメリカ文学・文化で、小説やポップカルチャーにおける危機意識と情動のはたらきに関心を持つ。訳書にレベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』『わたしたちが沈黙させられるいくつかの問い』(以上、左右社)。

 

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