松柏社

松柏社

図書出版の松柏社

ようこそゲストさん

エミリ・ディキンスン詩集

(訳)中林孝雄  

エミリ・ディキンスン詩集
判型 四六判上製
ページ 275ページ
価格 2,900円(税別)
ISBN 978-4-88198-891-6
Cコード
略号
発売日 1986年5月1日

当サイトより注文希望の方はログインをお願いします

オンライン書店で購入する

  • Amazonで購入
  • 楽天で購入
  • セブンネットで購入
  • 紀伊國屋で購入
  • e-honで購入
  • hontoで購入
解説

日本に紹介されて約70年、ここに初めて原詩に最も忠実な、日本語の詩として十分鑑賞に耐える訳詩集が、12年の熟成を経て誕生。難解で知られるニューイングランド女性詩人の孤高の詩世界が、平易な美しい日本語によって甦る。

目次

二一 勝つから― わたし達は負けるのです―
二七 このような朝― わたし達は別れた―
四七 心よ!あのひとのことは忘れましょう!
五二 わたしの帆船(ふね)は海に沈んだのでしょうか―
六七 成功はもっとも甘美におもわれる
七六 歓喜は内陸にすむ魂が
七七 「脱走」という言葉をきくと
八〇 わたし達の生活はスイスのようです―
九九 新しい足がわたしの庭を行き―
一〇一 「朝」って本当にあるのでしょうか?
一〇五 うわべだけ― 頭をたれて―
一〇七 入江からよちよち出て行ったのは
一〇八 外科医はとても注意しなければならない
一二〇 これが「衰えること」なら
一二五 一瞬の法悦(エクスタシー)のためには
一二六 大声で戦うのは、とても勇ましい―
一三一 詩人は秋の外にも
一三五 水は、喉の渇きが教えてくれる。
一四九 露がいつもの花から消えるように
一五〇 あの女(ひと)は身まかりました― 〈こう〉して身まかったのです。
一六二 わたしの川はあなたのところへ流れて行きます―
一六五 〈傷ついた〉鹿は― もっとも高く飛び上がる―
一六七 盲人が太陽を知るように―
一八二 駒鳥がやってきたとき
一八五 「信仰」はすばらしい発明品
一九〇 あの時― あのひとは弱く、わたしは強かった―
一九三 時間(とき)が過ぎ去ったなら― 何故か分かるでしょう―
二〇四 青空をすーっと切って―
二一四 わたしは真珠を彫った大きな杯から―
二四一 わたしは苦悶した顔がすき、
二四五 宝石を手にしっかりと握り締め―
二四九 嵐の夜に― 嵐の夜に!
二五二 悲しみを― 悲しみの海全体を
二五四 「希望」は翼あるもの―
二五五 死ぬのは― わずかな時間(とき)でしかない―
二五八 冬の日の午後には、
二六六 ここは― 入日の洗う― 国―
二八〇 わたしは頭に、葬儀を感じた、
二八五 駒鳥はメロディーを判断するときのわたしの基準です―
二八八 わたしは名もないひと! あなたは誰?
二九七 それは光のように―
三〇〇 「朝」は― 農夫には― 「乳しぼり」を意味する―
三〇一 わたしは思う、この世ははかなく―
三〇三 魂は自分の社会をえらぶと―
三〇四 五時までは― 一日はゆっくりとやって来た―
三一八 太陽がどのように昇ったかお話しましょう
三二四 教会へ行って安息日を守るひとがいます―
三二七 眼が見えなくされる前に
三二八 一羽の小鳥が小道をやって来た―
三三八 わたしは神がいるのを知っています。
三四一 ひどい苦しみの後、うわべだけの感情が生れる―
三四二 いつか― 夏になるでしょう。
三七〇 天は心から遠く離れているので
三七四 わたしは天国へ行った―
三七六 もちろん― わたしは祈りました―
三七七 信仰を失うのは― 土地を
三八六 七月さん答えて―
三八九 今日になって、
四一三 この世にいるとき― 私はどうしてもくつろいだ気持になれなかった―
四三五 非常な狂気は明敏な目にとって―
四四一 これは便りをくれたことのない
四四八 こういうひとが詩人でした―
四四九 わたしは美のために死んだ― でも墓穴へ
四五〇 夢は― よいものです― でも朝目を覚ますなら、
四五五 勝利には― いくつか種類があるかもしれない―
四五八 廃墟をみる眼のように―
四六一 夜が明けたなら― 妻になるでしょう―
四六五 私は死ぬとき― ハエがうなるのが聞こえた―
四六九 赤い― 炎は― 朝―
四七二 天帝がこんなに近くまでやって来て―
四七八 わたしは憎む時間(ひま)がなかった―
四八六 私は家では一番つまらない者―
五〇二 少くとも― 祈ることは― 残されて― 残されています―
五一一 あなたが秋にいらっしゃるのなら
五一六 美は― 生み出されるのではなく― それはあるのです―
五二〇 私は朝早く立って― 犬を連れ―
五二四 ある偉大な日の午後―
五二六 オリオールが啼くのを聞くのは
五二八 白選びの権利により― 私のもの!
五三〇 火は消すことが出来ない―
五三六 心ははじめ― 喜悦をもとめる―
五四〇 片方の手に力を持って―
五四九 いつも私が愛していたことを
五六九 私は― 数えるからには―
五七五 「天」は― わたしに― いろんな印を示す
六一九 ああうれしいな― 大嵐が終わったのです―
六二四 永遠は― いくつもの今から成る―
六三二 頭脳は― 空よりも広い―
六三六 わたしはこういう風に― 手紙を読みます―
六五〇 苦しみは― 空白の要素を持つ―
六五六 その― 名は― 「秋」―
六五七 わたしは可能性に―
六六八 「自然」はわたし達に見えるもの―
六七四 客人のいるとき
六八三 魂は自分にとって
七〇一 以前抱いていた―
七〇九 出版は― ひとの心を
七一二 死のために私が止ってやれなかったので―
七三九 平和はまだ遠く離れていたのに
七四四 悔恨は― 記憶が―目覚めること―
七六四 予感は― 陽が沈むのを示す―
七六五 時はあなたが制定されたのです―
七八一 すぐ向うに愛があるものなら―
七八四 何もかも失って、わたしは外国に出かけた―
八二七 私の知る唯一のニュースは
八二八 駒鳥は
八八三 詩人はただランプに灯をともすと―
八八七 わたし達は愛が着れなくなると、他のものと同じように
九一九 胸の張り裂けるのを止めてやることが出来るものなら
九四三 棺は― 小さな領地です、
九五三 通りで扉がちょっと開いた―
九七六 死は魂と肉体との間で
九八五 すべてを失うことが― わたしが小さなものを
九八六 時たま草むらのなかを
一〇三〇 ああいうひと達が死んだということが
一〇四三 ここが本当に天国とならぬよう
一〇五二 わたしは荒野を見たことがない―
一〇七三 出会うひとは誰でも
一〇七八 ひとの身まかった朝
一〇八四 三時半、たった一羽の小鳥が
一〇九〇 わたしは肉体を認知するのがこわい―
一一〇〇 あの女が生きていた最後の夜も
一一二六 お前を採ってやろうか?と詩人は
一一二九 すべて真実をいいなさい でも遠回しにです―
一一四七 百年あとには
一二〇七 彼は偏狭になるまで「寛容」を説いた―
一二一二 ことばは
一二三三 太陽をみていなかったなら
一二四二 思い出から逃げるのに
一二七〇 神様はお医者さんでしょうか?
一二七五 芸術家のクモは
一二八七 一時しかつづかない
一三二〇 三月さん― お入りなさい―
一三五六 ネズミは一番しまり屋の借家人。
一三九八 これ以外わたしには人生がない―
一四一九 穏やかそうな一日でした―
一四七二 夏空を見るのは
一五二三 死のうとしていてもわたし達は自分の死は決して知らない―
一五三五 あまりきつく縛られていたため逃亡した生き物は
一五四〇 悲しみのようにひと知れず
一五四四 この世で― 天国を見つけられないひとは―
一五六七 心にはたくさんの扉がある―
一六一九 夜明けが何時やって来るか分からないので、
一六七二 スルスルっと黄色い星が
一六七七 私の火山には草が生え
一七〇四 悲嘆に暮れたひとのところへは
一七二〇 最初が最後だと知っていたなら
一七三二 わたしの人生は終わる前に二度終わった―
一七三四 ああ、一時の甘い蜜よ、
一七六〇 エリュシオンは
一七六三 名声は蜜蜂。
一七六五 愛は今あるすべてというのが、
一七六七 楽しい時がここから消えて行った。
一七七四 幸せすぎる時は溶けて

エミリ・ディキンスン年譜
あとがき

メディアほか関連情報
著者紹介
  • 中林孝雄

    1945年、東京・御茶ノ水に生まれ。早稲田大学第一文学部英文科卒業。早稲田大学大学院文学研究科博士課程修得退学。元立正大学教養部教授。訳書にW・B・イェイツ『W・B・イェイツ詩集──螺旋階段とその他の詩』(角川学芸出版)ほか。

関連書籍
  • 収容所ノート/ミツエ・ヤマダ作品集

  • 宮沢賢治『春と修羅』AN ASURA IN SPRING

  • アメリカ文化のホログラム

  • アシャーの湖/対馬隆のための鎮魂歌

  • アントニー・スウェイト対訳詩選集