松柏社

松柏社

図書出版の松柏社

ようこそゲストさん

ニュース詳細

2020.9.8畔柳和代 ☕ ぜいたくな悩み──Louise Fitzhugh(1928-74)と将来の夢

畔柳和代 ☕ ぜいたくな悩み──Louise Fitzhugh(1928-74)と将来の夢

✏ 文=畔柳和代

 

 Harriet the Spy(1964)の主人公は、作家になりたい11歳の少女である。ニューヨークの高級住宅に両親と養育係オール・ゴリーと暮らし、私立校に歩いて通い、お弁当は料理人が作るトマトサンドと決めている。放課後は仕事着に着替え、穴のあいたスニーカーを履いて、スパイ活動に精を出す。子どもの体格を活かし、時には住居侵入もして、他人の人生を垣間見るのだ。その中に26匹の猫を飼い、精緻な鳥かごを作る男がいる。彼が製作中の鳥かごに触れ、考えにふける様子を天窓から観察して、ハリエットはこう書く。

 

HE LOVES TO DO THAT.  IS THIS WHAT OLE GOLLY MEANS?  SHE SAYS PEOPLE WHO LOVE THEIR WORK LOVE LIFE.   DO SOME PEOPLE HATE LIFE?  (Ch. 4)

 

 書くことが大好きなハリエットはノートを持ち歩き、思ったことを記している。野球選手になりたい親友スポートの父親は収入の少ない作家で、この父子家庭では息子が家事を担い、苦しい家計を管理している。ハリエットはふと気になる。貧しくないと、作家になれないのか? 職業選択に性別が関わることもわかっている。もう一人の親友ジェイニーは科学者を志し、家で化学実験に取り組んで、火事を恐れる母親に嫌味と下手な冗談を浴びせられ、女の子なんだからダンスを習えと攻め立てられて、闘っている。

 ノートの中身は極秘である。だが養育係が退職して、日常の規則性が失われたとき、習慣の子ハリエットは調子を崩し、不運にもノートを落としてしまう。人目に触れないはずだった真率な言葉は級友を傷つけ、ハリエットは仲間外れになり、自分も悪さを繰り返し、医者に連れて行かれる。この間、親子がじっくり話しあうことはない。親は精神科医の見解を受け入れ、今度は学校に相談をする。一見遠くも冷たくも見える大人たちの連携に支えられて、ハリエットは他者に向けて書くための第一歩を踏み出す。

 The Long Secret(1965)は夏休みの物語だ。ハリエットは海辺の町で怪文書の差出人を探り出そうとする。聖書を思わせる文言を通して、不安と苛立ちを生みだしているのは誰か? 相棒は、同じ町で夏を過ごす、臆病な級友ベスエレン(12歳)だ。彼女は母方の大金持ちの祖母に育てられている。幼いころに両親が離婚して、旅と社交と浪費を好む母親が海外に行ったきりだからである。この作品には、ベスエレン母娘の七年ぶりの再会のほかに、数組の母娘関係も描かれている。ベスエレンの場合は、遊び暮らす母親に夏だけでなく将来も滅茶苦茶にされそうで怖くなり、朝ごはんを食べながら、対策を考える。

 

I won’t run away, she thought, chewing bacon. I had better find a profession; then I can be independent, and not like Zeeney. (Ch. 22)      注)Zeeney は母親の名前。

 

このあと、母親と継父は相談に来たベスエレンを茶化し、女性初の「エベレスト登頂者」や「ニューヨーク市長」、「初の女性大統領」になればと提案しては大笑いする。だがベスエレンにとって職業探しとは、自分が本当に好きな何かを見つけることを意味している。

 さて、ここまでに挙げた主な人物はみな白人だが、(ハリエットは出てこない)Nobody’s Family is Going to Change (1974)の中心にいる姉弟は黒人だ。弁護士になりたいエマ(11歳)と、ダンサー志望のウィリー(7歳)である。二人はニューヨークで両親と暮らし、白人のメイドがいて、私立校に通っている。母方の叔父は名のあるタップ・ダンサーで甥の才能を喜ぶが、父親はどちらの子の夢も認めず、二人の熱意を削ごうとする。女弁護士はみんな大バカだから。黒人も仕事を選べるいま、踊るなんて論外だから。息子には自分と同じ弁護士になってほしいから。(あと、もしかすると、ダンサーはめめしいと思っているから。)姉弟の母親は息子の夢については優柔不断で、娘には、弁護士になるよりも弁護士と結婚するほうが幸せだと説く。

 だが、ウィリーは劇場に忍び込み、ブロードウェイミュージカルの役を得る。エマは秘密の「子供軍」に加わり、子供の権利について研究し、家庭で子供が直面する危機――虐待、酒乱の親、いかがわしい行為など――の実例を聞き、それらと比べて、自分と弟、友人の悩みの性質を考える。ある晩、父親が長広舌をふるったあと、エマは母親に言う。

 

“Just because we aren’t starving doesn’t mean everything is great. That’s what he thinks.  We get a nice hot meal at night. Is that it? Is that all we get? Is that all life is about?”(p.163)

 

作品の題名は、エマが悩みに悩んで、得る洞察である。家族はどこもきっとこのまま。どんなに期待しても、親の態度は今後も変わらない。それを踏まえて、夢を壊されずに生き延びていく術を仲間と編み出せばいい。ルイーズ・フィッツヒューが描く、裕福な少年少女が抱えるぜいたくな悩みは、半世紀後を生きる大人にとってもほろ苦く、味わい深い。

 

〔註1〕Harriet the Spy(1964)は HarperCollins Children’s Books の Collins Modern Classics 版、The Long Secret(1965)は Random House Children’s Books のYearling 版、Nobody’s Family is Going to Change(1974)は Ig Publishing の Lizzie Skurnick Books 版を用いた。

 

❐ PROFILE

1967年生まれ。東京医科歯科大学教授。専門はアメリカ、英語圏文学。翻訳に、キャロル・エムシュウィラー『すべての終わりの始まり』(国書刊行会)、フランシス・オズボーン『リラ、遥かなる愛の旅路』(ウェッジ)、キャロル・エムシュウィラー『カルメン・ドッグ』(河出書房新社)、フランシス・ホジソン・バーネット『小公女』『秘密の花園』(新潮文庫)、ジーン・ウェブスター『続・あしながおじさん』(新潮文庫)など多数。

 

✮ この著者に関連する小社刊行物

『ぼろ着のディック』〈アメリカ古典大衆小説コレクション3〉

『しみじみ読むアメリカ文学──現代文学短編作品集』