松柏社

松柏社

図書出版の松柏社

ようこそゲストさん

ニュース詳細

2020.8.31山田雄三 ♣原因と結果を混同しないウィズ・コロナ社会のために──レイモンド・ウィリアムズ『テレビジョン』から学ぶこと

山田雄三 ♣原因と結果を混同しないウィズ・コロナ社会のために──レイモンド・ウィリアムズ『テレビジョン』から学ぶこと

✏ 文=山田雄三

 

 「メディアはメッセージである」は単純なフォルマリズム、「メディアはマッサージである」はイデオロギーである。レイモンド・ウィリアムズが主著『テレビジョン』でそう述べた1974年から、もうあと数年で半世紀になる。1970年代は、マーシャル・マクルーハンの理論の影響のもと、テクノロジーは人間が使用するモノではなくなった時代であった。以降、わたしたちはメディアに全身をすっぽり包まれて、マッサージされるように生きている。

 この半年間、わたしたち(=わたしとわたしの受講生たち)は遠隔教育メディアのシステム停止や動作の不具合に極度な不安を感じてきた。マクルーハンが言ったように、メディアが抽象化された人間身体とそれを取り巻く物質的環境とのあいだに作用する調節であるならば、遠隔授業は拡張された感覚中枢で起きる刺激への反射・反応にほかならない。眼と耳の感覚器が得た刺激に、指で反応し、反射的に発話させられるだけの。そうであれば刺激を受けなくなることは死に近い。(フロイトの死の欲動!?)

 こうした鬱々とした閉塞状態を抜け出すにはどうしたらいいのか。ウィリアムズはわたしたちが自明視している因果関係を問いなおすよう促す。『テレビジョン』を読むかぎり、いまでもテレビの暴力映像にたいする社会の受けとめ方は1970年代からさほど変わっていない。暴力映像が「原因」となり、「結果」として未成年の問題行動を引き起こすというものだ。ウィリアムズはこれを仮想の因果関係と考える。もし「この社会は暴力行為を抑止している」とするならば、暴力行為がテレビで絶え間なく放映されることは異常である。むしろ、これほど頻繁に暴力行為が放映されるのだから、「この社会は暴力行為を助長している」と考えるのが自然である。しかしそんなことはだれも認めないだろう。こうした混乱の解決をテレビ・システム内部の因果関係に求めても不毛である。なぜならわたしたちが実際に直面しているのは社会現実の矛盾であって、わたしたちは暴力へのアクセルとブレーキの双方を踏み込んだ社会の矛盾を生きているからだ。(中傷ツイートと♯Me Too送信の真の動機をSNSテクノロジーに求めてなんになろう。)頻繁に暴力行為が放映されることは「原因」ではなく、この矛盾を孕んだ社会が「原因」となってもたらす「結果」にほかならないのである。

 「テクノロジー決定論は支持できない概念である」。ウィリアムズのことばはウィズ・コロナ社会にも重たく響く。

 

なぜならこれは現実のなかに社会的で政治的かつ経済的な意図が働いていることを認めず、発明がランダムな自律性をもつことを認めるか、抽象的な人間の本性を認めてしまうからである。しかし、決定されたテクノロジーという概念もまた、人の営みのプロセスの一面だけをみて一方向的に判断する点で、似たような概念である。決定とは現実の社会のプロセスであって、けっして・・・すべてを統制し、すべてを予見するような一連の要因などではない。(191-92)

 

オンライン授業を成立させるコミュニケーションのモデルは、それが無自覚に社会システム全般に投影されれば、そのモデルを規範化してしまう。Zoom の画面には、画面手前のとても目立つ位置に「ミュート/ミュート解除」ボタンがある。そして多くの場合、利用者はミュート状態をデフォルトにしている。つまり、このコミュニケーション・モデルでは必要なときに、ミュートを解除し発言することが求められ、つぶやきやため息やことばにならない反応を伝えないことが前提となっている。そして、わたしたちはこの約束事にしたがって、一種独特のコミュニケーションを取るわけである。この種のコミュニケーションでいちばん危険なのは、コミュニケーションが自己目的化し、そもそもなんのためのコミュニケーションかという意識を削いでしまうことだ。だからいま、わたしたちはなんのためにコミュニケーション・テクノロジーを使用するのか、何度も立ち止まって考えなければならない。ウィズ・コロナ社会の「ニュー・ノーマル」が、どこかで計画されたある固有の秩序をもたらす意図であり、同時にその効果であることをわたしたちが忘れてしまえば、テクノロジー決定論者の思う壺である。

 

❐ PROFILE

1968年、熊本県生まれ。大阪大学大学院文学研究科教授。専門はイギリスのカルチュラル・スタディーズおよび初期近代演劇。著書に『感情のカルチュラル・スタディーズ──『スクリューティニ』の時代からニュー・レフト運動へ』(開文社)、『ニューレフトと呼ばれたモダニストたち──英語圏モダニズムの政治と文学』(松柏社)、訳書にレイモンド・ウィリアムズ『想像力の時制 文化研究 II』(共訳、みすず書房)、『テレビジョン──テクノロジーと文化の形成』(共訳、ミネルヴァ書房)、『暗い世界──ウェールズ短編集』(分担訳、堀之内出版)。

 

✮ この著者に関連する小社刊行物

『ニューレフトと呼ばれたモダニストたち──英語圏モダニズムの政治と文学』