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2020.7.30➤大串尚代 リレーエッセイ(2)✍ 子どもとモビリティ──マリア・カミンズ『点灯夫』からヴァレリア・ルイセリ『ロスト・チルドレン・アーカイヴ』へ

➤大串尚代 リレーエッセイ(2)✍  子どもとモビリティ──マリア・カミンズ『点灯夫』からヴァレリア・ルイセリ『ロスト・チルドレン・アーカイヴ』へ

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ハーン小路恭子さん➤大串尚代さん

 

文=大串尚代

 

 1854年10月、ミシガン州にある小さな町ドウォージャックに、ニューヨークから45人の子供たちが到着した。多くは10歳から12歳の子どもだったが、中には6歳の子どももいたという(O’Connor)。列車に乗って都会から西部にやってきたのは、身寄りをなくしたり、頼れるあてをなくした子どもたちだった。

 社会改良家チャールズ・ローリング・ブレイス(1826-90年)がニューヨークで子供支援協会を設立したのは、1853年のことだった。この頃、ニューヨークには路上での生活を余儀なくされた子どもたちが約3千人いたという(O’Connor)。まだ社会福祉制度が未整備だった時代にあって、子どもたちには家族が必要だと考えていたブレイスは、ニューヨークやボストンといった都市部の孤児たちを、西部に移住させ、人手を必要としている家庭へ送り出すというプロジェクトを企画した。のちに「孤児列車(Orphan Train)」と呼ばれるようになったその計画の第一弾が、冒頭のドウォージャックへの子どもたちの移送だった。その後、カンザスやネブラスカ、イリノイなどに送り出された孤児たちは、幸せな家庭に巡り会った場合もあれば、単なる労働力として酷使される場合もあったといわれている(Brown)。「孤児列車」の功罪についてはここでは深く立ち入らないが、看過できないのは孤児と移動というテーマがこの「孤児列車」で前景化されている点だ。

 孤児列車が開始されたその年、ボストンの路上に放り出された身寄りのない少女を主人公にした小説が大ヒットした。それがマリア・スザンナ・カミンズの『点灯夫』(The Lamplighter, 1854)である。同時代の作家ナサニエル・ホーソーンが編集者に宛てた手紙に、「『点灯夫』とか、他の似たり寄ったりの小説が数えきれないほどの版を重ねているのは、どういったからくりだ?」としたためたほど、話題になった作品だ(Wallaceに引用、204)。アメリカのベストセラーを研究したフランク・ルーサー・モットの『黄金の大衆』によれば発売8週間で4万部を売り上げたということからも(125)、その人気のほどがうかがえるだろう。

 この作品の舞台はボストン、8歳のガートルードが、下宿屋を営むナン・グラントに冷たい仕打ちを受けているところから物語が始まる。ガートルードは母親とこの下宿屋に住んでいたが、5年前に母親は亡くなり、以降ナンが仕方なく最低限の面倒を見ているのだが、それは現在でいうネグレクトに近いものであった。もっともナンにしてみれば自分が面倒を見なければならない筋合いもない、といったところなのだろう。なんの躾も教育も受けていないガートルードは、癇癪をおこしやすく、誰かのために何かをする喜びというものも知らない。そんな彼女はあるとき、下宿屋から追い出されてしまう。そのとき彼女を救ったのが、町のガス燈に火をつける点灯夫の仕事をしていた老人トゥルーマン・フリントであった。

 ここからは多くの説明を要しないだろう。彼女は老フリントの周囲にいる心優しい人々に囲まれ、教育を受け、自身の感情をコントロールすることを覚える。そして老フリントが火を灯す仕事を全うしたように、ガートルードは人の心に火を灯す、つまり人の役に立つ喜びを見出す女性へと成長していく。たしかに予定調和的な物語であり(ホーソーンがぼやく気持ちもわからないでもない)、幸せな結末も用意されているために、安心して読める作品であることは間違いないだろう。

 しかし同時に、この作品は孤児であるガートルードがさまざまな状況に応じて移動する物語でもある。ナンの下宿屋から追い出されたガートルードは、点灯夫フリントに引き取られるが、数年後にフリントが亡くなると、ガートルードのよき友人である盲目の女性エミリーの家に引き取られる。そこで教育を受けたガートルードは、昔世話になったサリヴァン夫人を支えるためにエミリーのもとを去り、教師の仕事に就く。しかしまたしばらくすると、エミリーの元に呼び戻され、彼女に同伴してニューヨークからサラトガへの旅行に出かけ、そこで偶然にも自分の過去を知る人物と出会う。実はガートルードはリオ・デ・ジャネイロで生まれており、生後間もなく父と生き別れると、母親とともにアメリカに帰国し、ナン・グラントの下宿屋で暮らしていたことが判明する。

 このガートルードの移動の多さはなんなのだろうか。孤児であるということは、定住よりも移動を求められるものとして表象される。『点灯夫』の4年前に出版された『広い、広い世界』(The Wide, Wide World, 1850)は、親を失ったエレン・モンゴメリーの成長物語であると同時に、若い少女であるエレンが居場所を移していく物語でもある。大人の事情に翻弄される子供たちの移動は、その19世紀の孤児物語の中にも、また実際の「孤児列車」にも見て取ることができる。

 子供と移動の問題は、現在のアメリカでも決して小さいものではない。近いところでは移民問題と絡んで大きく報道された、「ゼロ・トレランス」政策があげられるだろう。中南米から密入国を試みた人々がアメリカ側で捕らえられ、親子を引き離す措置が取られたことは記憶に新しい。移動した子どもたちはどこに行くのか。どう生き抜いていくのか。ガートルードやエレンのように、予定調和的に幸福な結末を迎えることのなかった子どもたちはどこに行ったのか。

 2019年に刊行された『ロスト・チルドレン・アーカイヴ』(Lost Children Archive)は、アメリカに暮らすメキシコ人作家ヴァレリア・ルイセリによる小説である。息子のいる男性と娘のいる女性が子連れで再婚し、この家族はニューヨークからアリゾナまで車で旅をする。男性と女性はサウンドスケープを記録することを職業としており、土地の音や人々の会話を記録しながら西へと進む。本作品では、行方不明になった不法移民の子どもたちのニュースと、旅の途中で親もとを抜けだし息子と娘だけで西へ進もうとする子どもたちが、孤児列車を思わせる列車と遭遇する物語とが奇妙に呼応し合う。消えた子どもたちはどこにいるのか。子どもはなぜ移動し続けるのか。その移動にどのような意味があるのか。大人に翻弄される子どものことを、文学を通じていま一度考える時期なのではないか、そんな気がしている。

 

参考文献

Brown, Angelique. “Orphan Trains (1854-1929).” VCU Libraries Social Welfare History Project. 

Cummins, Maria Susanna. The Lamplighter. 1854. Rudgers UP, 1995.

Luiselli, Valeria. Lost Children Archive. 4th Estate, 2019.

Mott, Frank Luther. The Golden Multitudes: The Story of Best Sellers in the United States. Macmillan, 1947.

O’connor, Stephen. Orphan Trains: The Story of Charles Loring Brace and the Children He Saved and Failed. Houghton Mifflin, 2014. Kindle Edition.

Wallace, James D. “Hawthorne and the Scribbling Women Reconsidered.” American Literature Vol. 62, no. 2, 1990. pp. 201-22.

「国境で泣き叫ぶ少女 アメリカの世論を動かした1枚」The Asahi Shimbun Globe+2019年5月11日付

 

❐ PROFILE

滋賀県生まれ。慶應義塾大学文学部教授。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科後期博士課程修了、博士(文学)。専門分野はアメリカ女性文学、ジェンダー研究、フェミニズム、日本少女文化。著書に『ハイブリッド・ロマンス──アメリカ文学にみる捕囚と混淆の伝統』(松柏社)、『『ガラスの仮面』の舞台裏──連載40周年記念・秘蔵トーク集 』(分担執筆、中央公論新社)、翻訳にフェリシア・ミラー・フランク 『機械仕掛けの歌姫──19世紀フランスにおける女性・声・人造性』(東洋書林)。

 

✮ この著者に関連する小社刊行物

『ハイブリッド・ロマンス──アメリカ文学にみる捕囚と混淆の伝統』

『フォークナー 第13号』

『フォークナー 第18号』

『立ちどまらない少女たち──〈少女マンガ〉的想像力のゆくえ』