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2021.7.1➤東谷  護 リレーエッセイ(5)✍ 米軍が与えた音楽的衝撃──ブラス・サウンドはどこから来たのか

➤東谷  護 リレーエッセイ(5)✍ 米軍が与えた音楽的衝撃──ブラス・サウンドはどこから来たのか

ハーン小路恭子さん➤大串尚代さん➤小林エリカさん➤岡  裕美さん➤東谷  護さん

 

✏️ 文=東谷  護

 

 テレビ番組「サザエさん」のオープニングを思い出してください。「サザエさん」は、長らく視聴率も高く、日本で暮らしたことがある人なら誰もが知っていると言い切ってもいいでしょう。

 では、「サザエさん」の文脈を全く知らない人や日本で暮らしたことのない人に聞いてもらって、この曲のジャンルは何でしょう?と問うたら、どのように答えるでしょうか。おそらく、ビッグバンドのジャズという風に答えると思います。ところが、長年、日本で生活した、ある世代以上の人は、そういうような耳を持っていないでしょう。おそらく「アニメの音楽じゃん。サザエさんじゃん」「日曜日じゃん。六時半じゃん」というような感じで、捉えるだろうと思います。この曲を作ったのは昨秋、逝去された筒美京平です。この曲は1969年に発表されましたが、1970年代の歌謡曲で鳴り響くブラス・サウンドと同系統と捉えてよいでしょう。ちなみに筒美は青山学院大学時代にジャズに傾倒していたそうです。

 こうしたビッグバンドのサウンドは、いきなり出て来たものかというと、そうではありません。戦前の軍楽隊からの流れがあります。軍楽隊によって吹奏楽という形式が継承されてきました。

 

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 第2次世界大戦後、アメリカ軍が日本のあちらこちらを接収して米軍基地を設置し、その中に娯楽施設である米軍クラブを作ります。そこで演奏させるために、現地のアメリカ人ミュージシャンを頻繁に連れて来ることができなかったので、日本人ミュージシャンにアメリカのポピュラー音楽やジャズを演奏させたのですが、そう簡単に演奏が出来ませんでした。というのも、第2次世界大戦中には、敵国音楽として、音楽をアメリカから入れることが出来ず、日本でのジャズの発展が一時期、止まってしまったからです。

 そこで役立ったのが軍楽隊出身者でした。軍楽隊出身者の中には、ジャズの演奏経験がなく、見よう見まねで演奏する人がいたそうです。他にも基地は金になるということで、学生から果ては楽器演奏の経験がない人までもが米軍クラブに集まり始めたのです。そこに、のちにナベプロやホリプロを創設していった人たちもいました。占領期にはまだテレビがありませんでした。1953年のテレビ本放送開始、やがてテレビ文化に入っていく頃に、歌謡曲などの番組を彼らが作っていきました。あるいは、紅白歌合戦も長い間、紅組のバンド、白組のバンドというのがありまして、そこの指揮者の方は、軍楽隊出身だったなど、そういった面でも、米軍クラブが日本のポピュラー音楽文化に与えた影響は大きかったのです。

 

♪♪♪

 米軍基地はアメリカのポピュラー音楽を広める役割を果たしました。米軍基地は世界的展開をしていますので、日本以外でも同じように影響を受けた国は多く、韓国もその例に洩れませんでした。なぜ、ここまで影響力を持ったのかを探る手がかりとして、ベトナム戦争に従事した経験を持つ元米海兵隊員が、イタリアのドキュメンタリー映画『誰も知らない基地のこと』(原題はStanding Army)の取材に語ったことばを見ましょう。

 

俺たちは基地の中でハンバーガーを食べ、バドワイザーを飲んでいただけだ。沖縄に居ながら、沖縄の文化や社会に何ら関心も払わなかった。

 

 この発言から米軍基地関係者以外立ち入ることが出来ない空間に内包された大前提を読み取ることが出来ます。それは米国以外の他国に存在する基地に従事する米軍人、米兵に対して、アメリカ本土の暮らし、日常生活のあれこれも流れる音楽も、いつもの暮らしと同じだということです。

 米軍クラブでは、食事や酒類とともにバンド演奏やショーが提供されたのですが、演奏やショーには基地が設置された地域や国の人々がステージにあがっていました。彼らがアメリカ発のポピュラー音楽に米軍クラブで接し、それらを自国に持ち帰り、その地域や国の音楽文化に上手に活用したのでした。

 このように長いスパンで見ますと、米軍基地がアメリカのポピュラー音楽を世界的に広げていくメディアだったことが見えてきます。メディア環境が現在と違うため、米軍クラブがポピュラー音楽を世界的に広めた文化装置として果たした役割は今日よりも大きかったのです。

 

❐ PROFILE

1965年、横浜市生まれ。愛知県立芸術大学音楽学部教授。京都大学大学院博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。著書に、『マス・メディア時代のポピュラー音楽を読み解く』(勁草書房)、『進駐軍クラブから歌謡曲へ』(みすず書房)、監修に『スインギンドラゴンタイガーブギ』(1~5巻、週刊「モーニング」連載、講談社)などがある。音楽実践の「場」から生成される音楽文化について研究を進めており、併行して、音楽文化の学術的研究の一次資料の整備にも力をいれている。日本の野外フェスの先駆けである全日本フォークジャンボリーの開催までの軌跡を読み取ることができる、『復刻 資料「中津川労音」』(風媒社)を今春、上梓した。