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2020.12.21リレーエッセイ ♠ 大学における授業と研究【第1回】市電の南▶千代田夏夫

リレーエッセイ ♠ 大学における授業と研究【第1回】市電の南▶千代田夏夫

✏  文=千代田夏夫

 

 お題をいただいて「エッセイ」を書くのは全く苦しいことで、書けない!と突っ伏していると「書くニャ!」とこふじが見まわりに来る。こふじは最古参の庭の猫で普段は私と常に距離を取っている。目があえば後ずさりし小走りに駆けてゆく。七年半のあいだ触れたこともない。

 今冬はリンゴをよく食べる。かじり残した芯の部分は庭の鳥たちに投げてやるが却って失礼ではないかという声もある。黒紋付のジョウビタキや白い胸元にタイを締めたシジュウカラなどみな盛装で一年ぶりの参集である。来春開催のイーディス・ウォートンシンポジウムでコーディネイターを務めているので、リンゴをかじりながらウォートンを読む。リンゴもウォートンも敬して遠ざけてきたものである。またカレーをよく作る。カレーを自分で作るなど二十年来なかったことである。

 食卓の両端で、一方では食事をし、PCを置いたもう一方で授業と研究を行う。祖父母の家からもってきたこの机は、私ら五人の孫が群らがってさんざん食べこぼししたものである。遠隔授業が主となり「ステイホーム」を墨守するようになって、私の毎日はこの縦一八〇センチ弱横八〇センチ、古い木製の食卓をぐるぐる巡って明け暮れするものとなった。

 研究で養ったものを授業に還元し、授業で現れた新たな疑問や問題をまた研究で解明に努める。このサイクルの繰り返しである。誰でも作れるカレーとは言っても、アクすくいや火勢の加減、味見などあるからときどき隣の台所に立ってゆく。外気を吸いがてら門扉周りで掃いても掃いても寄る落ち葉を追いかけていると、隣家のご主人から「最近マメにやってますね」と褒めていただく。座職の場合一時間に一度は立ち上がれという話を聞くが、せめてものストレッチになっているかと思う。そのような中で画面越しであっても学生諸氏と顔を合わせ議論ができる喜びはとても大きなものである。

 幸いなことにすべての遠隔授業をLiveで行うことが出来ている。毎回の授業で心がけているのは、なるべく全ての受講生に発言を促し、丁寧に聞いてリアクションを大きくとることであり、平時と変わりない。

 一九九〇年代後半、人生の夢と学業を重ねることが出来ていた学部生時代には、「同性愛に対する差別を、文学研究を通じてなくしてゆきます!」と、ごりごりと青臭くていかにも消化の悪そうなことを臆面もなくあちこちで口にしていた。その夢はどうなったのかまだ身内のどこかに潜んでいるのかよくわからない。

 ちょうど昨日ある研究書に対する書評の仕事を受けた。対象書籍をまずはじっくりと読み込んで原稿に落としてゆく。ここまでは論文と同じかもしれないが、著者がより近くでご存命である場合が多いから、別種の緊張がある。大変だけれど好きな仕事だ。以前学会誌にThe Cambridge Companion to American Gay and Lesbian Literatureの書評を書いた時には、昔のこころざしが、まだ埋み火のように残っていたことに驚いたものである。いちどは燃えておくことだ。難しい時代だけれど、若い学生さんたちには、夢を抱いてほしい。

 西国でも冬至前の日は短く夜は長く、独居のさみしさに気が滅入ることもある。白水仙の叢に鋏を入れて二輪ほど壺に挿す。「書けない!」一時間ほどふて寝して目覚めてみると、部屋中に香りが立ち込めてむせるほどである。玉ねぎを沢山刻んでよく炒めたのちに鍋に移し、にんにくと月桂樹の葉を放り込んで水を張れば、たいがいの煮込み料理の土台はできるように思う。あとから牛肉、きのこ、牛乳、カレールゥ、何を入れても大丈夫である。昨日米国文学史の補講で、テネシー・ウィリアムズのA Streetcar Named Desireを「市電のぞみ号」と訳した学生があった。光が射したようだった。

 

❐ PROFILE

鹿児島大学 法文教育学域教育学系 教育学部 学校教育教員養成課程(英語教育)准教授。研究分野はアメリカ文学、クイア・スタディーズ、F・スコット・フィッツジェラルド。論文に「F・スコット・フィッツジェラルドと第一次世界大戦──大衆性・アイロニー・モダニズム」『アメリカン・モダニズムと大衆文学──時代の欲望/表象をとらえられた作家たち』(金星堂)など。